みやchan インフォ
みやchan ホームに戻る
みやchan facebookページみやchan twitter
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 21人
プロフィール
mtc
mtc

2010年04月07日

ウインブルドン

大学生の4年間カメラマンのアシスタントをしたご褒美にカメラマンから海外の撮影に同行してほしいという信じられないお話をいただいた、ヨーロッパを車で回り、最終ニューヨークに行って帰るという約1ケ月にわたる日程であった、食事代はバイト代として全額をカメラマンの会社が負担していただけた、自分が負担するのは20万円だけであった、現在はHISの登場もあり海外にはかなり格安で行けるが当時の価格では1週間のヨーロッパツアーで50万以上かかる時代であった

大学最後の夏休みの7月の中頃に日本を出発した、現在まで海外にはかなり行っているほうであると思うがこの時の初めての経験は忘れる事は出来ない思い出である・・・、


この初めての海外旅行で起こした様々な失敗談の1つにウインブルドン事件がある、


様々な失敗や武勇伝を重ね日程は10日ほど経過した頃カメラマンから休日の提案があり1日全くのフリー行動となった、スポーツ好きの自分にとってイギリスと言えばセントアンドリュースゴルフ場とウインブルドンテニスコートであった、聞くとゴルフ場は日帰りは無理だがウインブルドンは日帰りで行けるとの事であった、ガイドブックに詳しい行き方が書かれている訳がなく携帯電話のような革命的に便利なアイテムも当然ない時代であった・・・

言葉がわからず、伝わらずともゼスチャーをもってなんとかなる自信をつけつつある頃であった、今思えばホント恐いもの知らずのお調子者、お馬鹿ものである(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)

真っ白のTシャツにウインブルドンと英語で書いてテニスのスイングをしながら駅でどの列車に乗れば行けるのか聞いた、結構スムーズに伝わったようで向かう列車はすぐにわかった、その時ほとんどの方が何か地名のような言葉をかけて下さったのだがその時は全く気にも止めなかった、スムーズに列車は走り列車の中でもテニスのアピールは乗客の方にもなかなかウケた

40分ぐらい走ったところで止まった駅の駅名がウインブルドンであった、あわてて降りたところ乗客の方々が自分に一生懸命何か言っていたがなんかよくわからずテニスのジェスチャーを交えながら別れの手を振った、駅の出口で駅員の方にウインブルドンテニスコートの場所を聞くと不思議な顔をして左の方向を指差した・・・、何か色々言われたが全くヒアリング出来ないのでヤバイと思って急いでセンキュー、センキューノーセンキューと言って、その場から走り去った、その日は凄く良い天気でカンカン照りであった、しばらく歩き続けたがテニスコートらしき建物はなかなか見えてこなかった、かなりの田舎的な風景が続いた、たまにすれ違うおじさんおばさんからかなり不思議な目で見られた、怪しいものでは無いとテニスのゼスチャーをして必死にアピールを人とすれ違うそのたびにやった、自分の侵した大失敗に気付く事も無く歩き続けた、いくら歩いてもテニスコートらしき建物は見えてこなかった、2時間近く歩いたところで看板を発見した、2車線の大きな角を曲
がるとなんかそれなりの雰囲気があるストリートが見えて来た、道路をはさんで向かい側はパブリックのゴルフ場で、たまにボールが道路に飛び出して飛んできた、通行する車にボールが当たっていたが、何事もなかったかのように走り去っていく!!!!!、当たる覚悟で走っている事がカルチャーショックであった、

角を曲がって30分ほど歩くとウインブルドンテニスコートが見えて来た、やっと着いた、遠かった、正に感無量であった・・・


入口に近づくと信じられない文字が目に飛び込んできた、

CLOSE、、、、、、、、、 あり得ない現実であった、
正直余りのショックでそこからの夢のような体験は、全て嘘のようでホントの話である、信じられない経験をさせていただいたのである、

信じられない現実にウインブルドンの入口の前でさすがに座りこんだ、ここまで来て見れない悔しさと準備の悪い自分への不甲斐なさに涙が止まらなくなった、
声をかけられて顔をあげると黒人の警備員のおじさんが自分の前に立って何か声を掛けていた、とにもかくにも残念でうわごとのように泣きながらセンターコートと声に出していた・・・

しばらく経つとおじさんから立てと、手を引っ張り上げられた・・・強制的に帰れと背中を押されると思っていた・・・、

カモン!!!!!、

????????????
どこえ・・・、ついてこいそういう意味であった、
写真のような通路を歩いてウインブルドンの会場の中に入った、

シーズンオフの為センターコートに緑はなく鳩がいっぱいいた、

信じられない時間が流れていた、誰もいないセンターコートの会場に自分だけがいた、夢のような光景を見ながら席に座りしばらく経つと・・・

HEY、と声が聞こえた、センターコートの中に警備員のおじさんがいて自分を呼んでいた、最前列の席まで降りていくと、手のジェスチャーで・・・カモン!と
飛び越えてセンターコートに入っていいよ、という意味であった、

センターコートに足を踏み入れてしまった、ふわふわしていた、鳩の糞の臭いがきつかったのだろうが泣いて鼻が詰まっていたのでそうでもなかった・・・カメラは持ち歩いていなかったので記録は残念ながら無いがその光景は頭の中に一生忘れる事はなく焼き付いている、


警備員のおじさんに何度も何度も頭を下げお礼をした

おじさんはおみやげがなくて申し訳ないとジェスチャーで言ってくれた・・・、名残惜しく帰路につこうと右方向に歩きだすと・・・HEY、と呼び止められ左の方向を指差された・・・、左???????????
自分は右から来た、あの道を又これから帰るのかと思うと少々憂うつではあった
近道を教えてくれたのだと思って別れの手を振り左に歩いた、

5分ほど歩くと信じられない現実が目に飛び込んできた、

駅がある・・・、

まさかのまさかである、

そうなのである、自分が降りる駅を間違えていたのである、

30分ほど待つと列車が来た15分ほど列車は走りウインブルドン駅に止まった、あの駅員さんがいた、グッドサインを彼に向かってジェスチャーすると不思議な顔をしていた、

もしも、スムーズにウインブルドンに着いていたら、ウインブルドンのクローズがそんなにショックではなかったかもしれない・・・しょうがない、ついてなかったとただ帰っただけだったかもしれないのである、

ウインブルドンの大会を毎年みるたびにこの体験を思い出す、良い思い出である

その日ホテルに帰るとカメラマンがビックリした顔でどこに行って来たんだと聞いた、事情を話すとあまりにも焼けて黒すぎて日本人と思わなかったから会場の中に入れてくれたのかもしれないなぁと言っていた、夢のない話であるが実際自分で鏡を見てビックリするぐらい真っ黒であった(笑)

海外での体験はかけがえのない宝である・・・日本を飛び出した経験があるものにしかわからない判断力の違いは絶対にあると思っている


65過ぎたらロンドンに住む目標はゆるがない藤間議長でした!
  

Posted by mtc at 19:11Comments(0)