2015年11月09日
惜別
お葬式という儀式への参加は自分にとってお通やよりも重要で、亡くなられた本人様を直接に知らない限りは自分は出席しない性格でもある
故人と自分との間に生前に性格的なそれなり記憶がない限り、親戚であっても参加しない事がある
自分にとってお葬式という儀式は特別な儀式に位置付けているので、参加する場合最後に故人に花を供えて合掌してお見送り迄ちゃんと努めたい
逆にそこまでの気持ちの関係でない場合は参加したくないし、親戚の場合でもかなり気がすすまない時もある
こればかりは気持ちの問題なのでしょうがない事でもある
これまでの人生の中で自分が出席する必要を感じるお葬式にはほとんど出席してきているけど、お一人の方だけはどうしても気持ち的に会いたくない人間が近くにいて参加している背景を知る事からその方々に会いたくもなく顔も見たくない想いから、お葬式への参加へ足が動かなかった経験がある
後悔と言えば後悔を残したままでもある
今日参加したお葬式の故人も原因はガンで、参加しなかった故人の原因もガンで同じだった
婆ちゃんもガンだったのでガンと聞くと、複雑な想いが強くする
ガンは人間の精気を奪い痩せほそる…
薬による事なのかもしれないけれど、ガンという病気の怖さは身にしみてわかっているつもりだ
今回も惜別の思いに帰りがけの車を運転しながら涙が溢れた
残された状況も知るからこそに今回は辛く悲しく涙が止まらなかった
先に立つ悔しさは相当の想いだったに違いない
逃げる行為で先立った方の無念もわからないでもないけど、先にいけないと必死に頑張った姿を想像するだけで悲しみが他人であるにも関わらずどんどん込み上げた
自分の中にはきっと強く封印している悔しい想いや、離婚に関しても強い残念な封印している想いがあって涙も流してる場合ではないそれ相応の覚悟を決めて臨んできた3年間でもある
なんか色んな事が突然に惜別の思いをきっかけに込み上げてきたのだろう
こんなに泣いたのはいつ以来なのか思い出せないぐらいに長い時間泣いた
昨夜はどうしても酒が飲みたくてよく飲んだ
昨夜もし偶然の異性との出会いがあれば、多分いっちゃう勢いでもあった(笑)
危険と言えば危険な夜でもあった(^^;
冷静に戻った今日、様々を振り返るとニヤケル事も幸福な事だ
藤間議長でした
K様どうか、安らかにお眠り下さいませ
故人と自分との間に生前に性格的なそれなり記憶がない限り、親戚であっても参加しない事がある
自分にとってお葬式という儀式は特別な儀式に位置付けているので、参加する場合最後に故人に花を供えて合掌してお見送り迄ちゃんと努めたい
逆にそこまでの気持ちの関係でない場合は参加したくないし、親戚の場合でもかなり気がすすまない時もある
こればかりは気持ちの問題なのでしょうがない事でもある
これまでの人生の中で自分が出席する必要を感じるお葬式にはほとんど出席してきているけど、お一人の方だけはどうしても気持ち的に会いたくない人間が近くにいて参加している背景を知る事からその方々に会いたくもなく顔も見たくない想いから、お葬式への参加へ足が動かなかった経験がある
後悔と言えば後悔を残したままでもある
今日参加したお葬式の故人も原因はガンで、参加しなかった故人の原因もガンで同じだった
婆ちゃんもガンだったのでガンと聞くと、複雑な想いが強くする
ガンは人間の精気を奪い痩せほそる…
薬による事なのかもしれないけれど、ガンという病気の怖さは身にしみてわかっているつもりだ
今回も惜別の思いに帰りがけの車を運転しながら涙が溢れた
残された状況も知るからこそに今回は辛く悲しく涙が止まらなかった
先に立つ悔しさは相当の想いだったに違いない
逃げる行為で先立った方の無念もわからないでもないけど、先にいけないと必死に頑張った姿を想像するだけで悲しみが他人であるにも関わらずどんどん込み上げた
自分の中にはきっと強く封印している悔しい想いや、離婚に関しても強い残念な封印している想いがあって涙も流してる場合ではないそれ相応の覚悟を決めて臨んできた3年間でもある
なんか色んな事が突然に惜別の思いをきっかけに込み上げてきたのだろう
こんなに泣いたのはいつ以来なのか思い出せないぐらいに長い時間泣いた
昨夜はどうしても酒が飲みたくてよく飲んだ
昨夜もし偶然の異性との出会いがあれば、多分いっちゃう勢いでもあった(笑)
危険と言えば危険な夜でもあった(^^;
冷静に戻った今日、様々を振り返るとニヤケル事も幸福な事だ
藤間議長でした
K様どうか、安らかにお眠り下さいませ
Posted by mtc at
14:34
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