2017年04月16日
久しぶりの想い
アテネOlympicが開催された2004年
ちょうど40を向かえる年は激動の分岐期だった
翌年からオーバルの返済もスタートする前で、
自分は大きな決断に踏み切った
売場解散に向けてスタートをきった時期を忘れる事はこれから先もないと思うし、その決断はあの時から12年以上経過して、長い間色んな事を辛抱して我慢してきたからこそに、間違いでなかったと確信する為に頑張ってきた
沢山の裏切られた事も、残念な人間関係も、悔しい現実も、失った信用も、全てはリセットされないにせよ、オーバルの最低返済責任レベルからの開放が実現する事は自分の中では大きな意味がある
オーバルスタートからこの18年の俺の想いや感情を理解してくれる存在は都城にはいないと思ってるし、ずっと長い間孤独を感じてきたこの故郷に 愛着心を捧げる感情移入はない
ただ先祖や守っていかなければならない責任を無くす事はないのでこれから7年先2025年以降、自らがどこにどこでなんのどんな立場の事をやっているのかはわからないけれど、とりあえず飛び回りながら、なんとなく地元の責任ある最低レベルの事はやっているようには思う
7年後はまもなく60で、同級生は次々と還暦を向かえる
多分ないと思うけど、再婚なんてしてたら本当に現状ではあり得ない事だ 笑
本格的に都城のバスケットに様々に関わり始めた
のも39からなんで、あれから12年ひとまわり、早いものだ
46歳シニアバスケの分岐点にスタートをきった高専バスケのバスケ指導も今年6年目を向かえ、目標値だった5年を経過してD級のライセンスも取得した
自らがここまで熱く熱心にバスケに関わるようになるなんて正直都城で夜間リーグに参加するようになった頃には想像もしなかった
今でも基本的にはバスケより野球やゴルフの方がプレーする分には正直なとこ好きだ・・・
ただ分岐点時代のあのアテネオリンピックと世界バスケの観戦の体験は自分の中のバスケの感覚的なものの概念を一瞬で破壊された
あの頃からバスケに対する感覚や役割の考え方が大きく変わったように思っている
解散を決意した背景もそのバスケの現実、世界観に影響されたのかもしれない
色んな事を予想していたわけではないけど、自分が想像した不安は次々と的中して、ワンシーズンでも逃げ遅れていれば、全国同業の老舗が毎年毎年破産・倒産された同じ道を歩んでいた可能性は高い
人は変化をしなければならない時期、一定の期間でも構わないから自分を捨ててでも我慢して変身しなければならない時がある
それはカッコ悪い事でもダサい事でもないし、
貫く意地は勝手だけれど、終わってしまえば、ただの諦めの悪い人だったねで終わる
そんな残念なヤツも数々にみてきた・・・
俺は孤独な分、信念がかなり強いので目標達成まで多分しぶとくやってゆけると思うけど
関わる可能性を持つ人間関係関してだけは、より
慎重にやってゆく事だろう
久しぶりの藤間議長でした
Posted by mtc at
13:37
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