2018年04月24日
三本柱ー4
売場の改革として、当時の仕入ルートの中で自分が一番着目した分野がスポーツファッション
アディダスもナイキもその時代は商社が国内での販売権利を持つ時代でアディダスはデサント、ナイキは日商岩井がその販売を独占していました
アディダスの商品構成の中でゴルフの販売実績が高くデサントとのパイプが強かった当店はアディダスの限定アパレルの宮崎県唯一の取扱限定指定店舗で、自分が仕入に関わり始め売場改革を奨め
最大仕入総額3000万迄の売上実績を計上する商品に引き上げました
スポーツファッションの売上を伸ばす決意をした背景にあった事は都城に戻った当初スタッフを誰もがヘインズさえ知らなかった現実
オシャレやファッションの話を聞いていても、宮崎から福岡で学生をしてきた自分との感度の差やスポーツブランド、アメリカンカジュアルの知識のレベルの低さは大きく、正直ファッション感覚の格差を感じてました
その状況に合わせるのか、その状況に変化を与える事を決断するのか、
そこは大きな分岐点になり、スタッフの補充に関してその感度を重視した時代でもありました
斬新な高価格帯のジャージを含め当店のアパレルの実績は先ずは目の前の目標にしていた宮崎店のスポーツアパレルの売上に近づいていきます
当時の宮崎店はスタッフも一流のベテランが揃っていて九州のスポーツ店の中でも売上も経営の内容も最高レベル
都城のお店の現状から考えると雲の上の存在のお店でした
スポーツファッションとリペアの充実と成果、競技種目の品揃えの改革によって着実に売場の業績を伸ばしていた当店に
ある日更なる分岐点を引き起こす方が突然来店されます
藤間議長でした
大きな分岐点は突然何の前触れもなく訪れる経験は知る者にしかわからないものです
Posted by mtc at
12:24
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