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2012年02月14日

1994

1994年アメリカサッカーワールドカップ


生まれて初めてサッカーワールドカップを観戦させていただいた忘れられない年である


サッカービジネスは日本のサッカーの盛り上がりの流れに乗って勢いが加速している時代であった


当時は外資系の日本参入はなく、アディダスの日本総代理であったデサントがアディダスの販売権利を所有して様々な商品を日本国内にて展開していた


当時のアディダスの担当本部長故人O氏から親交やら生意気さがかわれたのか、九州代表のメンバーとして若手の全国のサッカーショップ同士の交流を目的としたアメリカサッカーワールドカップツアーのメンバーに選定された


学生時代海外はカメラマンアシスタントでも経験もあり個人的にも買い付け等々もやっていたので緊張するメンバーの中でスキンシップに集中する事が出来た


現在でも全国のサッカーショップ仲間との交流は継続してあるが、皆が高い壁に向かって戦っているようだと口をそろえる、インターネットショップの部分のみしか安定した売上を確保出来ないことにかなりの虚しさは感じているみたいだ


そんなサッカー仲間達と思いを共有したサッカーアメリカワールドカップにおいて忘れられない思い出が会場でのホイットニーヒューストンのサプライズコンサートであった


あの歌声・いでたち・会場は一瞬で興奮の渦となった

試合が始まりホイットニーヒューストンも会場で決勝戦のブラジルvsイタリア戦を観戦していた


試合は延長でも決着はつかずPK戦となった


伝説に残るロベルト・バッジォのPK失敗の悲劇は今でも目に焼き付いている


ホイットニーヒューストンも複雑な表情であった


アメリカサッカーワールドカップはブラジルの優勝となり興行も大成功、アメリカではプロサッカーリーグが確立され現在に至る


歴史に刻まれたロビーの悲劇はサッカーファンにとって日本代表のドーハの悲劇と同じようにに現代まで語りつがれている


ホイットニーヒューストンの悲報を聞いた時にあのロビーがPKを外した時の光景を鮮明に思い出した


人間の脳って本当にスゴい

記憶とは人生の全てであり強く印象的な出来事は多分各自の脳の中にきれいに整理されているのだと改めて思わされた


藤間議長でした


もし人が死んだら脳だけ取り出してその脳内記憶を映像化する技術があれば故人を失った悲しみは随分と癒されたりしないだろうか?

嫌々、知らない方がよかったことも沢山ある可能性もあるか・・・(笑)



Posted by mtc at 12:59│Comments(0)
 
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