2013年06月09日
構想
今から20年前、自分は当時28歳、都城のお店の売上は2億を越えていた
この勢いで福岡で本気で勝負したいと当時の外商責任者とゴルフ担当の先輩従業員に相談した事は忘れない
お二人はオヤジの直属の部下の意識が当然あり、この先自分が都城を去りある程度スポーツの店売り売上が減っても都城のお店は大丈夫だと思っていた
元々都城のお店が大変だった事が宮崎店でなく、都城へ帰ってくる理由にあって自分の中で沢山の心残りというか、人口のある場所で勝負したい感覚が強くあった
都城を否定するわけではないが、自分からみて、あのレベルのヒマラヤの品揃えであれだけ売れるのだから、現在でも、商品選択感度はかなり遅れているとは今でも思っている
2億の売上を計上していた時代、セールの売上も相当にあったが、近隣の鹿児島、日南、小林、高原、えびの、田野等々、人吉、玉名久留米等からも沢山の方々にご来店いただいていた
都城地区の売上は外商部が活動していたので、競技部分へのこだわりの浸透率は宮崎店ほどではなかった
そのツケはその後に新店舗の売上で痛烈に感じさせられた
感度を重要視するあまり都城では極端に否定される勘違いの売場を作ってしまった
イメージは福岡にこんなスポーツ店が欲しいとずっと思っていてアドバイザーの方々も福岡から来られていたので完全な勘違いの悲惨な結果が待っていた
初年度の売上は仮店舗の売上にも届かない悲惨な数字となり、今思い返すとよく15年も継続してきたと思います
今でもこの基準があればこそに救われた事がある
それは準備期間があり、29歳で区画整理、中核都市指定が決まってからオーバルの計画、施工までは組合の設立を含め5年以上の歳月を要している
この期間にとにかく最悪の事やもしお店の売上が大型店の進出によって激減したらとか、様々なシチュエーションを吟味した
現在そんなに改修工事費用をかけずともテナントスペースに変化出来るのはその準備期間の構想のおかげでもある
今更の話になるが、プロバスケットチームを作る活動の際に自分は1年の活動を主張していた、盛りあげる為の同志の広がりが微妙でそんな背景からの意見であった
結論同志の広がりは曖昧なまま大きな助成の決定により参入は電撃的に決まった
大きな喜びは確かにあったが、準備委員会中開催したbjカップの考え方等何か少しずつ感覚のズレを感じる自分もいて、もし参入出来ても後援会活動を中心にサポート役にまわり、運営内部に入る事はしないと当時告げた
結果的に理由は知らないが後援会活動からも除外されたので、今でも初年度の計画のスタート構想にはかなりの疑問を持っている
初年度の負に追われた2年目の地獄の時期をしらない方の適当な意見が耳に入ると今でも心の中では憤慨する
とにかく一番残念な事はサードシーズン構想での固定費の曖昧な計画、チーム関係者、選手、スタッフの固定費の差額の考え方に一番に呆れた
自分が事業提携を提案した事も馬鹿らしくてやってられないと思った背景からも正直理由にある
とにかく今月末で自分に迷惑がかかった場合事実を全て明らかに書き込む
それまでにこのブログがランキング上位になっておく事は構想としてかなり重要な事だと思っている
当然、その他のブログでも一斉に発信する
構想と最悪のシナリオなしに行動を起こしたツケはあまりにも大きい
藤間議長でした
現在都城の中心市街地活性化の復活に向けたプロジェクトが進行していると聞いている
期待も高まるが、中心市街地にて生活する方々の本音はどこにあるのか
構想を企画する方々は近隣住民とのスクラムをどのように考えておられるのか、
計画は簡単だが、区画整理でも様々なトラブルがあった記憶があり、中々の曲者もホント様々におられる
オーバルのスクラムはホント奇跡だと心から思う
15年間、頑張ってきて街の移り変わり、激動をみてきたオーバル組合の解散まで10年を切った
街に賑わいが戻ってきて追い風になれば有難い話である
この勢いで福岡で本気で勝負したいと当時の外商責任者とゴルフ担当の先輩従業員に相談した事は忘れない
お二人はオヤジの直属の部下の意識が当然あり、この先自分が都城を去りある程度スポーツの店売り売上が減っても都城のお店は大丈夫だと思っていた
元々都城のお店が大変だった事が宮崎店でなく、都城へ帰ってくる理由にあって自分の中で沢山の心残りというか、人口のある場所で勝負したい感覚が強くあった
都城を否定するわけではないが、自分からみて、あのレベルのヒマラヤの品揃えであれだけ売れるのだから、現在でも、商品選択感度はかなり遅れているとは今でも思っている
2億の売上を計上していた時代、セールの売上も相当にあったが、近隣の鹿児島、日南、小林、高原、えびの、田野等々、人吉、玉名久留米等からも沢山の方々にご来店いただいていた
都城地区の売上は外商部が活動していたので、競技部分へのこだわりの浸透率は宮崎店ほどではなかった
そのツケはその後に新店舗の売上で痛烈に感じさせられた
感度を重要視するあまり都城では極端に否定される勘違いの売場を作ってしまった
イメージは福岡にこんなスポーツ店が欲しいとずっと思っていてアドバイザーの方々も福岡から来られていたので完全な勘違いの悲惨な結果が待っていた
初年度の売上は仮店舗の売上にも届かない悲惨な数字となり、今思い返すとよく15年も継続してきたと思います
今でもこの基準があればこそに救われた事がある
それは準備期間があり、29歳で区画整理、中核都市指定が決まってからオーバルの計画、施工までは組合の設立を含め5年以上の歳月を要している
この期間にとにかく最悪の事やもしお店の売上が大型店の進出によって激減したらとか、様々なシチュエーションを吟味した
現在そんなに改修工事費用をかけずともテナントスペースに変化出来るのはその準備期間の構想のおかげでもある
今更の話になるが、プロバスケットチームを作る活動の際に自分は1年の活動を主張していた、盛りあげる為の同志の広がりが微妙でそんな背景からの意見であった
結論同志の広がりは曖昧なまま大きな助成の決定により参入は電撃的に決まった
大きな喜びは確かにあったが、準備委員会中開催したbjカップの考え方等何か少しずつ感覚のズレを感じる自分もいて、もし参入出来ても後援会活動を中心にサポート役にまわり、運営内部に入る事はしないと当時告げた
結果的に理由は知らないが後援会活動からも除外されたので、今でも初年度の計画のスタート構想にはかなりの疑問を持っている
初年度の負に追われた2年目の地獄の時期をしらない方の適当な意見が耳に入ると今でも心の中では憤慨する
とにかく一番残念な事はサードシーズン構想での固定費の曖昧な計画、チーム関係者、選手、スタッフの固定費の差額の考え方に一番に呆れた
自分が事業提携を提案した事も馬鹿らしくてやってられないと思った背景からも正直理由にある
とにかく今月末で自分に迷惑がかかった場合事実を全て明らかに書き込む
それまでにこのブログがランキング上位になっておく事は構想としてかなり重要な事だと思っている
当然、その他のブログでも一斉に発信する
構想と最悪のシナリオなしに行動を起こしたツケはあまりにも大きい
藤間議長でした
現在都城の中心市街地活性化の復活に向けたプロジェクトが進行していると聞いている
期待も高まるが、中心市街地にて生活する方々の本音はどこにあるのか
構想を企画する方々は近隣住民とのスクラムをどのように考えておられるのか、
計画は簡単だが、区画整理でも様々なトラブルがあった記憶があり、中々の曲者もホント様々におられる
オーバルのスクラムはホント奇跡だと心から思う
15年間、頑張ってきて街の移り変わり、激動をみてきたオーバル組合の解散まで10年を切った
街に賑わいが戻ってきて追い風になれば有難い話である
Posted by mtc at 14:21│Comments(0)