みやchan インフォ
みやchan ホームに戻る
みやchan facebookページみやchan twitter
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 21人
プロフィール
mtc
mtc

2013年09月27日

エアマックス

エアマックスが発売された1995年、こんなカッコいいランニングシューズがかつてあっただろうかと、価格は15000円・・・、都城で売れる購買価格では明らかになかった





スポーツ用品の仕入れは1年前に行うので、1年先を予測できなければ仕入担当の責任問題である


当時からスポーツ問屋の多くが展示会発注リベートをとるばかりで、提案商品の在庫回転機能を果たしてはいなかった


エアマックス大ブームの前にジョーダンのブームが日本には上陸していて、ジョーダンシューズの場合、当店は宮崎県の強化指定店だったので全て基本県庁所在地の宮崎店に配分は発送されていた




都城のような10万レベルの街は全国に多く、そこまで配分を広げる事は大変な作業となる事は理解していた

当時のナイキの支店長に粘り強く交渉して、アメリカ直輸入業者や直輸入仕入れ等、いち早く取り組んでいた自分の仕入力の品揃えは九州の田舎のスポーツ店の領域を越えていた


ナイキがいくらコントロールしようとしても様々な業者の対応はとめられない事、ナイキジャパンの設立と強化は自然な流れとなる話に耳を傾けていただいた





当時の支店長は既にナイキにはおられないが、当店は人口10万にしてはありえない商品供給と配分を許されたスポーツ店となった


日本販売代理店から仕入なくてもアメリカから直接現金で仕入れる発想力なんて当時は信じられない考え方だった事だろう


そんなナイキのアイテムは大ブームとなり、都城のような田舎でもよく売れた


エアマックスやナイキの品揃えがスゴい店があると九州各地からも来店されるお客様が当時沢山おられた





当時インターネットが普及していれば物凄い事になっていた事だろう・・・(笑)

ナイキショップの打診は結構早かったが、自分には直輸入のルートもあるし、ショップ管理される事に抵抗があって、県内の大手靴屋チェーンに道を譲った


結果的にブームは去りナイキショップは随分と減った





初期投資を考えるとやらないでよかったと自分では整理はしているが、当時物凄く悩んだ事は忘れられない

当店はシューズのブームでなくサッカーへの期待を選択してアディダスとのパイプを選択した


ナイキ、アディダスのサッカー戦争、シェア争いは現在も継続されていて国内においてはよい傾向とはいえない


サッカー戦争に関しては、改めて書き込みたいと思う

藤間議長でした





エアマックスの再ブームがちょっと都会のセレクトショップ系では広がってきているらしい










Posted by mtc at 12:02│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
エアマックス
    コメント(0)