2017年06月21日
敗者は去る
まちなかには空き店舗になった建物がまだまだ沢山存在します
バスケの指導等で宮崎のバスケット界に関わっていると、何でお店を止めたのか・・・なんて質問もよくされます
バスケットのビジネスに関しては自分が所属するチームにおいては商品納入をしてるので商売をやめたというより、指導=結果=異論=転換、みたいな特有の流れで競争に負けたという背景が続いたところでしょうか?
経営者発想の自分は絶対にデフレ見積りに興味自体がありませんので、リアルにビジネス成果=収入を考えた場合、デフレ見積りや納品は基本的にあり得ません
しかし、当店の場合も雇用していたスタッフがデフレ見積りや裏取引していた実態の現実的証拠がでてきた際に同様な外商が展開されていた現実があって代表者として地域の競争力衰退の責任も感じてました
正攻法の価格設定で取引が転換していったのだから自分は競争に負けたと考えています
bjリーグ活動において、地域で開催していた当店冠の大会を継続できない事件があって、逆にこれは、あまり自分の描く主旨とはズレてきていたので、都合的に悪くない方向性だと思いました
都城のバスケットサポートの環境は1番にミニバスケ、そして中学校、協会に強く関わる指導者がその部分に多い事もありますが沢山の有能な選手達を育成する理想的なサポート環境にあります
その分野は沢山の方針があるので、素晴らしい事だし、自分がサポートに関わらなくてもイエスマンの業者も沢山おられました
シニアバスケットに関わった際にふと知らされたある環境の違いが実はきっかけで自分の発想はある時期から大きく変わります
商売においては敗者となる可能性とか推測の上で去ってますが、あの時起点となった背景の野望は全く衰えてはおりません
今回中町の公民館館長に自分が変わったように、組織には必ずや転換期があって、もしその転換次第によっては必ずチャンスは訪れます
そういう役とか立場とか担う者には自然の流れがある事を最近つくづく感じます
藤間議長でした
敗者として去っても、いつだってカムバックのチャンスが残されている事が自由な民主主義社会の一員である有難さでもあるのです
Posted by mtc at 10:33│Comments(0)