2018年04月18日
三本柱 -2
仕事をスタートして間もなく2ヶ月を経過しようとする頃、その日は朝早くから福岡に向かいました
スポーツ業界には春にスポーツメーカーが展示会を開催する仕入という流れがあって、自分は様々なメーカーさんに就職の挨拶も含め顔を出す事を指示され福岡で3時から彼女と会う為に出来るだけはやい時間に福岡へ車で向かう休みの日の生活を過ごしてました
唯一の週1の定休に展示会の仕事でしたが、彼女に会うのに交通費が経費になるので自分の中では相当にラッキーな思いでした
彼女は会って車に乗ると発車する前に必ず俺の眼鏡をとってレンズを磨き一度かける仕草をして眼鏡を俺に戻し、
よかよ、どこ行く
色んな女性と付き合ってきましたが、彼女との短い期間の付き合った思い出を30年経過した今でも忘れないのは、きっとそういう優しい自然な気遣いが忘れない記憶として残っている事と事故への後悔が消えない事が大きいのでしょう
自分はその日数週間目となる車の福岡往復で相当に疲れてました
大切にしてきたデートの時間も眠くて会話も弾まず
無理せんで・・・とささやく彼女の気遣いも大丈夫大丈夫と振り払う
三本柱を早く構築したい大きな目標しか頭にない
馬鹿たれだったなあ・・・なんてズッと思ってます
その夜も彼女の門限の時間迄に自宅迄送り都城迄車を走らせました
ドライブしながらいつも考えていた事は彼女の変化よりもどうかしないと変えられないお店の仕事の事ばかり
当時福岡に向かう高速道路は八代ー福岡、都城ーえびの 間のみが高速でえびの~八代迄は一般道路で向かうルートでした
その事故は2車線の球磨川の道で起こります
追い越したトラックの先にもう1台トラックがいた事に気づかず、ヤバいその間に入り込まないと
と思った瞬間、追い越したトラックがスピードをあげ車線に戻れず、気づいたら目の前にトラックがいました
死んだ・・・って思う瞬間は今でも忘れられないし、ナゼ俺は生きてるのか今でも不思議だし、生かされた理由があるのかとか、これまで何度も何度も考えてます
事故検証によるとお互い相当に強くブレーキを踏んだようで車体がちょっと斜めになってトラックの下に自分の車高の低かったプレリュードが挟まりぶつかった際の衝撃も緩和されたとの事でした
真っ暗な球磨川での事故で事故の後ぶつかった対向車のドライバーの方が警察に連絡に向かい自分は必至に二次災害にならないように交通整理
悪いのは俺なのにホント大変ご迷惑をおかけしました
事故検証で警察の方も
なんであんた無傷で生きてん( -_・)?の
車多分廃車だけどどうする・・・
荷物のってるんで都城までとりあえずレッカーで引っ張って帰る事になり都城に着いたのが朝の8時前
周囲も出勤してきたスタッフも蒼然となり、オヤジは怒り、お袋は泣き、あの日の朝の事は様々を鮮明に覚えています
携帯電話を持っていなかったので帰ってこないとかなり心配もしていたようで不便な時代だったと思います
その朝、徹夜の状態で朝礼に参加してラジオ体操展示会の報告をして店内を掃除
俺は何やってんだろうって虚しく悔しく
疲労を心配してくれた彼女の気遣いも受けとめない最低の男
自分への自己嫌悪は日々大きくなり、福岡に会いに行くことも出来なくなって、二人の関係はギクシャクし始めました
事故から3週間後再開したデートは最悪で自分の限界を彼女に告げます
彼女は私からふる・・・
好きな人がおるっちゃん
短い短い4ヶ月とちょっとの後悔の恋愛は自分の中で
反骨精神の大きな礎になり三本柱を確立させて、必ず九州を代表するお店になれるように動きだします
藤間議長でした
Posted by mtc at 09:26│Comments(0)