2019年05月06日
思い出
昨日B1へのキップを逃した熊本
宮崎にプロバスケチームが出来た頃
宮崎の状況は熊本より随分先を歩いてました
沖縄はとりあえず九州枠になってはいますが
身近で気軽なエリアと考える九州人は少ないと思うので、
沖縄県のバスケの盛り上がりは別格だとして
九州のバスケの盛り上がりはなかなか厳しい状況が続くようです
宮崎はその九州の中でもバスケの影響力は相当に底辺に近い位置付けに現状あるので寂しいかぎりではあります
昔、宮崎シャイニングサンズの監督に北郷先生に就任いただいた頃に都城で定期的に開催していた決起会の酒席で、監督が宮崎のチームは延学の卒業生を結集したチームにしたいと言われていて、
もしそうなれば、強くはなるけど相当にお金がかかるなぁ・・・なんて勝手に想像を膨らましていた時代が懐かしく思えます
現在Bリーグで活躍している宮崎出身の選手達のほとんどは留学生を含め延学の卒業生なので北郷先生の影響力は宮崎においては相当に高い位置にあると思います
その先生の意思と揉めた当時の宮崎シャイニングサンズの代表の愚かさは何年経過しても残念な判断力だったとしか思えません
あの分岐点で組織が転換していれば、現在も宮崎シャイニングサンズは継続していた可能性は高かったかもしれません
個人的にあの分岐点で代表の継続を促したある男の多分自分の金銭収入の背景問題だけによる意志が宮崎の未来を壊したと自分は思っているので、
彼に協力する事もその先に関わる事も二度とあり得ないと決めてチーム運営側とは辞表提出迄距離
をおいたし、彼の行動を冷静に観察していました
自分の彼の性質を知るので、当時代表には社員にする事に苦言を伝えましたが、その判断力も自業自得といえばそれまで・・・、
表の顔と裏の顔と2面性をもつ人間は冷静に観察すると本当に沢山いるんです
自分は❌だと決めた人間とは完全に関係性を絶つのでシニアバスケへの関わりも止めたし、その男と何らかに遭遇する可能性がある事には一切近寄る事なく現在に至ります
数年前にあるバスケライセンス研修の会場で偶然再会しましたが、自分から会話を進展させる事は無かったので自分が避けられている事にやっと気づいた事でしょう
都城のバスケ事情において、高専バスケに関わる背景は高校バスケの分野なので都城のバスケ協会が力を注ぐミニバスや中学のバスケに関連しない状況が変わらない限り❌な方々との関係性がゼロである背景は大変有難い事です
まぁ、もし入り込んできても、自分は上のライセンスを目指し、立場的にも経験値を積み上げてきてるんで今更に視野にも入りませんが・・・笑
高専バスケ8年目の指導も今週からいよいよ本格的に再開しますが、先々楽しみな学生が数名いるので個人指導も本格化したいと考えていて、自らの体力作りのトレーニングにも力が入ります
高校生以上の男の子をこの歳で身体を張って教える指導者は少ないと思うので、自分が指導を継続できている背景はそんな覚悟の部分も支持されている理由だと思います
言葉だけでなく実技で教える部分はゴルフもノルディックウォーキングも共通化しているこだわりなんで体現する為には努力は惜しみません
結論自分は口先だけの奴が大嫌い
自らが発言した事に責任を持てない人間は二度と信用できません
人間関係は信頼関係が消えたら終わる事
男女の関係も夫婦の場合も同様です
藤間議長でした
嫌な思い出はなかなか忘れられないので
認知症の薬も嫌な事だけは忘れられる媚薬だったら快適な老後になるのに・・・なんて願います
Posted by mtc at 12:27│Comments(0)