2019年08月07日
祈りと希望
最近観て涙した
あべちゃんシリーズの新参者
祈りの幕が下がる時
よくぞ、ここまで悲惨な悲しい運命のストーリーを考えられるものだと感心する
昨日、運命や寿命というある現実を突然知らされ
人の命の儚さに祈りを捧げたい
自分は結婚に失敗して独身になってしまったのだけれど、もし連れ添った間柄の妻に先立たれたらと想像すると失う喪失感は計り知れない
そういう背景を真剣に考えてみると
現在の現実である孤独な状況は意外と気楽な状況である事をふと感じた
今自分が突然死したところで、個人名義に変えた負債はあるものの、誰にも迷惑は多分かけない状態で死ねるという事でもある
公民館の館長の役目にいると数年前からお葬式に立ち会う機会がかなり増えたので、知りあい関係が深かろうが、浅かろうが、その瞬間瞬間の別れに祈りを毎回捧げている
今自分はサポート事業との縁が消えた事で、地味な依頼に対応するスポーツ指導の仕事をしながら
姫城地区まちづくり協議会活動関連の作業や公民館関連の事業に取り組んではいるけれど、現在の状況で生活に裕福さは当然にない
2022年に本業の会社の代表になって大きな分岐点を向かえる日までに、何かを確立しておきたくて
とにかくノルディックウォーキングの年間活動が
都城市の様々な事業とコラボできるように人脈を開拓してゆくには、現在の活動の立場の継続力が
かなり効果的である事は間違いない
さらにまちなかの事業に深い関わりを維持してゆく事はオーバルにおけるテナント事業や中町会館の運営におけるスペース活用事業にもかなりの効果につながってゆくと思ってます
とりあえず様々に命がある限り頑張っていこうという覚悟で取り組んではいるけれど、どれだけ頑張っても孤独は孤独
救われているのは、意外と同様な孤独な仲間達が身近にいる時代の現実を感じた交流が沢山あるので孤独であっても寂しさはあまり無い 笑
家庭があって、子供がいて、仕事があって、
なんて環境で一生懸命に頑張っている人をこちらから誘って飲みや会食に誘うなんて事は迷惑をかけているようであまり自分からはしない
現在のような立場と環境に居座ってしまうと
今の状況が普通に思えてしまうので、ブログを継続している事は冷静に思案できる生命線のようです
本音、様々な活動の中で出逢いがあって、
同じ人生観の異性に巡り会える事は諦めてはいない
今年度新しくスタートされる姫城地区周辺の
大きな公園の活用は自分が今最大に思案しなければならない事業でもあります
希望ある事業と関われる立場にある現在に、
とりあえず少なくても20年は生かせてほしい、と祈ります
藤間議長でした
改善が無ければ、人生残りが10年と宣告された
5年前の健康診断
今年、病院の先生からここまで改善出来た事に驚かれこの努力を継続して来年更に内臓脂肪の削減や体重、糖の改善が数値に記録された場合、寿命は倍増すると診断をいただきました
まだピロリ菌の検査には行ってませんが・・・笑
胃カメラだけはまだちょっと勇気がありません
Posted by mtc at 11:48│Comments(0)