2016年11月01日
挫折の中から

滋賀のHCの遠山向人はbjリーグ宮崎シャイニングサンズのスタート時点のHCで色んな事があったけど、ホントに気持ちの熱い男でした
こんな素晴らしい舞台で頑張ってる宮崎時代のメンバーをテレビでみると、思い出せば運営面に関して苦しくツラく残念な出来事がとにかく沢山あり、宮崎でバスケの商売の現実的情熱が消えるきっかけにもなった宮崎プロバスケの経験だけど、
彼ら含め沢山の関係者のステップの機会を作ってあげられて良かったとは心から思います
だだゼロから頑張った俺の頑張りや見えない部分のボランティア貢献度、宮崎出身の選手が旅立ったきっかけを作った功績はそれなりにあるとは思うんだけど、何の勘違いが伝達されているのか…?、ひどい態度を見せる協会の方も都城には現実におられて
関わりを遠ざけた事から、バスケ関係の地元の仕事は激変したビジネス環境だけど、バスケの関わりを指導に切り換えてバスケ商品の商売を割りきるきっかけにもなりました
元々外商担当者が退社後にほとんどのチームのお付き合いが一方的に消滅させられた都城の付き合い環境の怖さも当時に教えられたし
結果的に色んな事を1人で考えて考えて雇用ゼロ、テナント事業改革、イベントスポーツへの転換、インターネット含め、様々なサポート事業等々、ここ数年間で自分のスポーツビジネスの発想は劇的に大きく変わりました
それが厳しい環境の中で、スポーツ業界の流通の考え方を根本的に変え、独特のやり方で、新しい顧客と売場を維持してきている奇跡に近い実績でもあります
実家でスポーツ観戦しながら、両親と素直に色々意見を言い合える環境に変わった事も数年前にはあり得なかった事で、結果的に挫折も人生には必要なんだと、俺は思えてます
今宮崎出身のバスケ選手達宮崎シャイニングサンズから旅立った選手達の活躍は本当に自分の励みになってます
都城発信のバスケに関する情熱はちょっと以前とは違うし、元々宮崎で一般バスケットチームを頑張ってきた自分だから、復活するとしたら将来宮崎で何かしらきっとやるでしょう
都城愛が薄くて申し訳ないですが、まぁ、いつになることやらです…(^^;
藤間議長でした
都城には挫折しなければ気づけない方々も多いという事でしょう (¬_¬)
Posted by mtc at 17:14│Comments(0)