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2021年01月25日

あの頃

昨夜はずっと見てきた
麒麟がくるを見ないで
CSで鬼頭ちゃんライブ

あの頃

初期のAKBにハマった
中野オタク時代を思い出しました 笑

20代後半東京、大阪、福岡への出張が多く様々なスポーツアイテムのブームの最高期で宮崎の高校を卒業していた背景で都城にはほとんど遊ぶ友達もなく彼女も福岡にいた事で、定休日に福岡に行って大阪や東京に仕入れに向かう週が月に2回はありました

中野ブロードウエイに行けば仲間達と遭遇していて、色んな流行を情報共有したり、地方の親交では絶対に得られない感度にワクワクして田舎で生活して商売している事を忘れる感覚でした

自分が都城に戻った当初、人が辞め売場の人員がほとんどいなくなり、ほとんどの作業や雑用、雑務を自らで行い1人1人スタッフを補充した5年間

どんだけ頑張っても破れない地方という仕入れの壁に直面しました、とにかく商売の内情では色々ありましたが、外部状況との壁は想像以上に高く
宮崎店と都城店の条件の格差は大きく、どれだけ売上を上げても仕入れ先問屋が同じである以上特に変化は無く苛立ちは募るばかりでした

中野オタクの仲間達のアドバイスは的確でナイキ等の海外ブランドブームの際に仕入れ先を広げたり、直接海外と取引して直輸入する仕入れ仲間を九州以外の店舗とスクラムを組んだり、とにかく
地方でありながら都城のお店は斬新なだけでなく
今でいうドンキホーテホールの初期の頃のような魅力的な商品が見渡す限りの売場でした

オーバルに売場が変わる迄の約12年で自分が都城に戻った当初のゴルフ売場の売上を除くスポーツ売場の売上が7000万だった数字を2億に引き上げた経緯は様々なブームの運もあり奇跡とも言えます

結果的には外部との親交を優先した事で、地元の学校や企業との交友力がほとんど築けず、外商もスタッフに任せていた事で大型スポーツチェーン店出店後の売上減少の影響でスタッフ解散後に外商の売上も維持できず売場も捨てる結果となるのですが、自分は値引き競争によるスポーツビジネスの保持に興味がなく、外商をすれば自分が一生懸命目利きして仕入れしてきた商品を外商のお付き合いの背景から値引きを依頼される苛立ちに嫌悪感が相当にあった経験から都城という消費者の気質が大嫌いでした

1度リセットを発想したのはある本がきっかけでしたが、オーバル返済と個人返済を終え売場が再開できた完全復活の日を目標に今迄頑張れてます

24歳から都城で始まった闘いの日々が走馬燈のように懐かしく、ここまで大きな展開を経験してきた年月が鬼頭ちゃんライブを観ながら改めてドラスティックに思える夜でした

藤間議長でした

見逃した麒麟がくるの来週土曜日の再放送

見逃さないようにしなくては・・・笑



Posted by mtc at 10:55│Comments(0)
 
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