2025年06月05日
内々に…
6月の頭はバスケ県民大会で3連覇を達成しました、との結果連絡がきました

10年前までは現役都城シニア代表と県民代表チームHCの兼任やって3連覇を手土産に関わりから引退
懐かしい分岐点の思い出です
代表との関わりから離れた後も大会前に高専チームと練習試合を組んだり、自らは高専で学生達とバスケしたり視力も改善してるんで活動復帰を考えた事もありますが現時点距離を置いてる本音はまだ黙秘としておきます
プロバスケ活動終了後自分は当時の事に関し沈黙を貫いてますが、何があったのかを知る人間は少ないし最近辛い時期を共有した奴に久しぶり再会して今音楽の部分で頑張っている事に安心しました
もし自分が当時の事を語り始めるとしたら高専バスケや公民館の関わりから離れる予定の4年か6年後以降だと決めてます
全ての暴露をやめてほしいと嘆願した人が誰なのか、その方を公開するかは未定ですが皆さんに一番迷惑をかけ平然と現在も事業を継続できている当時の代表でない事は現時点の日記に残しておきます
今更過去の話をなんて思われる方もおられるでしょうがプロバスケ興行が観客動員の大きな課題を残したまま失敗に終わった現実は日本バスケ協会内には根強く残る結果でもあり宮﨑の高校バスケが全国的にも強い位置づけにあった時代の結果なだけに宮﨑という地にバスケ界が期待してない背景にもなってます
なんだかんだで鹿児島のプロバスケチームは起動にのりつつあるし
高校バスケのレベルが全国上位でなくても協会が一体になっている背景は宮﨑にとって羨ましく大きな差がついている現状のように自分は思えます
バスケ界が分裂していた暗黒の時代に自分達がプロバスケチームを作ろうと起こした活動に対し宮﨑の協会内から活動に参加し後押しをしてくれた指導者はお1人もおられず誘致していたリーグがbjリーグだった事は強い非難さえありました
バスケ指導者によっては当店で商品を買うなとの非売通達等もあり内部の外商からも活動協力に対する商売上の大きな問題も指摘されてました
そうした厳しい声や試練を跳ね除けプロバスケチームの誘致に成功した訳ですが自分は当時の活動メンバーに厳しい意見を発した事からメンバーから外され当時の初期設立メンバーへの声かけはありませんでした
その後頭を下げられ活動に再び参加する事になるのですが活動数年の記憶から思う事は人という基準においてその事業が成功するか、否かという背景を強く感じるし、
それだけの事を成し継続していくにはかなりのリーダーシップと信念、資金力が必要だと思います
宮﨑のプロバスケ事業が残念な結果となった背景はそうしたリーダーシップ不足と継承の失敗も1つの要因ですが最大の要因がある事はバスケ関連の皆が知りたい事でもある事でしょうね
4年〜6年後でも宮﨑から再びプロバスケ発足活動を始めるような覚悟をもった人材はなかなかおられないと思うし暴露本はできるならば売りたいのでそれまでは内々な方にのみお話致します (笑)
藤間議長でした
都城代表チームの強化にはこの先も微力ながら協力を続けていきたいと思ってます

10年前までは現役都城シニア代表と県民代表チームHCの兼任やって3連覇を手土産に関わりから引退
懐かしい分岐点の思い出です
代表との関わりから離れた後も大会前に高専チームと練習試合を組んだり、自らは高専で学生達とバスケしたり視力も改善してるんで活動復帰を考えた事もありますが現時点距離を置いてる本音はまだ黙秘としておきます
プロバスケ活動終了後自分は当時の事に関し沈黙を貫いてますが、何があったのかを知る人間は少ないし最近辛い時期を共有した奴に久しぶり再会して今音楽の部分で頑張っている事に安心しました
もし自分が当時の事を語り始めるとしたら高専バスケや公民館の関わりから離れる予定の4年か6年後以降だと決めてます
全ての暴露をやめてほしいと嘆願した人が誰なのか、その方を公開するかは未定ですが皆さんに一番迷惑をかけ平然と現在も事業を継続できている当時の代表でない事は現時点の日記に残しておきます
今更過去の話をなんて思われる方もおられるでしょうがプロバスケ興行が観客動員の大きな課題を残したまま失敗に終わった現実は日本バスケ協会内には根強く残る結果でもあり宮﨑の高校バスケが全国的にも強い位置づけにあった時代の結果なだけに宮﨑という地にバスケ界が期待してない背景にもなってます
なんだかんだで鹿児島のプロバスケチームは起動にのりつつあるし
高校バスケのレベルが全国上位でなくても協会が一体になっている背景は宮﨑にとって羨ましく大きな差がついている現状のように自分は思えます
バスケ界が分裂していた暗黒の時代に自分達がプロバスケチームを作ろうと起こした活動に対し宮﨑の協会内から活動に参加し後押しをしてくれた指導者はお1人もおられず誘致していたリーグがbjリーグだった事は強い非難さえありました
バスケ指導者によっては当店で商品を買うなとの非売通達等もあり内部の外商からも活動協力に対する商売上の大きな問題も指摘されてました
そうした厳しい声や試練を跳ね除けプロバスケチームの誘致に成功した訳ですが自分は当時の活動メンバーに厳しい意見を発した事からメンバーから外され当時の初期設立メンバーへの声かけはありませんでした
その後頭を下げられ活動に再び参加する事になるのですが活動数年の記憶から思う事は人という基準においてその事業が成功するか、否かという背景を強く感じるし、
それだけの事を成し継続していくにはかなりのリーダーシップと信念、資金力が必要だと思います
宮﨑のプロバスケ事業が残念な結果となった背景はそうしたリーダーシップ不足と継承の失敗も1つの要因ですが最大の要因がある事はバスケ関連の皆が知りたい事でもある事でしょうね
4年〜6年後でも宮﨑から再びプロバスケ発足活動を始めるような覚悟をもった人材はなかなかおられないと思うし暴露本はできるならば売りたいのでそれまでは内々な方にのみお話致します (笑)
藤間議長でした
都城代表チームの強化にはこの先も微力ながら協力を続けていきたいと思ってます
Posted by mtc at 07:59│Comments(0)